パリ旅行記 一

 十一月下旬、一週間ほどでモン・サン・ミシェル、シャルトル、ランス、ヴェルサイユ宮殿、そしてパリで二日過ごすツアーに参加して、フランスを訪れた。フランスについて、またそもヨーロッパについては、書物を通じて知るばかりで、実際に自分の目で見るのは、これが初めてのことである。見てきたこと、感じたことを書き記しておこうと思う。

 

 まずヴェルサイユ宮殿でのことから。早朝の開門前に到着したので、屋根をはじめとする各所の金の飾りは、朝の光に照らされて輝いていた。宮殿の中に入り、主だった部屋の絵画、装飾などをガイドが解説してくれるのを聞きながら歩いて行く。昔から一度はこの目で見たいと思っていた鏡の間も、早い時間のおかげで人の少ない中、落ち着いて余裕を持って見て回ることができた。

 

 ガイドの説明では、彼の時代にフランスが大国となった影響力に、宮殿が重要な役割を果たしたと言われていた。またルイ14世推しと感じるぐらい、各種の芸術を始めとして、美的方向性が彼によって与えられ、定められたと賞賛していた。聞き通しての感想は、フランスといえば兎角ヴェルサイユ宮殿が言及されるのだが、それも当然のことであったのだという納得が得られた、というところだろうか。

 

 宮殿からバスで移動して、モン・サン・ミシェルに、日の暮れる頃に到着した。暮れる中遠くに浮かぶモン・サン・ミシェルを眺めて、翌朝から参拝した。これも朝一番の入場であったので、参道は人少なく、建物内部でもほとんど人影を見ずに、静かな部屋、薄暗い廊下、無人の広間を通り抜けて、じっくりと見て通ったつもりで建物の外に出た。

 

 まだ時間がたっぷりとあったので、城壁を辿り、ガブリエル塔、そのすぐ外の海の見えるところまで行った。それから橋を渡り対岸地区に戻り、そこから遠景にモン・サン・ミシェルを見て過ごした。ツアー旅程のスケジュールに時間の余裕が大きかったので、本当に存分に見て過ごすことができた。

 

 そこからシャルトルへ移動した。ここへは暗くなる頃に街に着いた。食後、プロジェクションが施された大聖堂を見に行く。途中、窓の音がするので見上げると、老婦人と目が合うや、美しく優しい声で Bon soir と挨拶された。感心する一瞬の間があいたが、こちらも同じ挨拶を返して、大聖堂へと足を進めた。

 

 翌朝、ウール川沿いを散策する。高台に立つ大聖堂は、建物の隙間あれば常に姿を見せてきた。その後、大聖堂を参拝する。続いてランスへ行くのだが、シャルトルの街とランスとを比較すると、シャルトルは古くからの街並みや建物が多く残っていたが、ランスは現代的建築が多く見られる都市の趣が強い場所と言える。ランスは、大きめの都会なら世界のどこでも見られる様子の地で、その中に大聖堂が一つ立っているという感じであった。

 

 それからパリに夜になってバスで入った。高速道路での渋滞や大きな通りでの繰り返される停車発進を経て、モントルイユにあるホテルに到着した。付近は各地からの移住者が多く住む街区のようで、飲食店も他国風のものばかりが目についた。ロータリー側でのガイドブックに蚤の市とあるものも、安い衣料雑貨をそういう人たち向けに売るのが中心であった。

 

 翌朝からパリをシテ島、サンルイ島を中心にした範囲で散策した。まだ暗い中を地下鉄で近くまで行き、朝日が建物を照らしだす頃に、散策を開始する。早出の旅行者をちらほら見かけると、やがてジョギングする人たちが増え、気づくと多くの観光客の中を一緒に歩くという感じで、昼過ぎまで気の向くままに、通りを曲がり、店を覗き、そして本屋に入って並んでいるものを物色して、午後遅くまで過ごした。

 

 疲れたらホテルへ帰るのを二日続けて行い、ツアーのスケジュールで深夜に空港へと移動して、日本に帰国した。続く

日本リベラリズムによるリベラル的人格と世俗的人格との二重性 二

 リベラル的人格と世俗的人格との二重性は、人の生活や行動の多くの場面にあって、明瞭に併存的に存すると覚知されないでいる。それらは識別困難な仕方で相互に融合し、重なり合っていて、自己認識上あたかも統一的なものの如くに思われている。そうして、時にリベラル的なものが主導的、時に世俗的なものが主導的であったりする。あるいは一つの事柄について、二つの人格からの判断や評価づけが混じり合って下され、しかもその一つの事柄について、相反する意味付け、時には矛盾する意味付けが、二つの人格から与えられることもある。

 

 言わば日本人の多くが、そのような仕方で、常に絶えず揺れ動き、動揺しているのであるが、しかし同時に、日本人の多くは、それに慣れてしまっていて、そのようなあり方をするのが人の心だと誤った理解で受け止めて生きている。

 

 さてこの二重性は、誤って統一的なものとみなされている時、それぞれ次のような差異を与えられている。すなわち、リベラル的なものは自己の思想や教養面であり、世俗的なものは心情的、常識通念的なものとされる。ここから一般的に、リベラル的なものは知的に上位のものであり、世俗的なものは下位のものとされる。

 

 ところでこうした差異は本質的なものでもなく、根拠のあるものでもない。しかも併存的、共存的な二重物であるから、上下が逆転した関係にも置かれる。すなわち、世俗的なものこそ真実で、本当のものであり、リベラル的なものは空虚で、虚構的なものとされたり、よく言われるところでは本音と建前といった差異を与えられもする。そして建前と本音という差異に類似して、心の外面と内面、言葉に出来るものと出来ないものといった区別を与えられることもある。

 

 このような二重の人格が真実に統一的なものでないことから、つまりこの人格に相関する世界を統一的なものと意識できていないから、あるいは同じことだが、統一的で総合的なものを構成できる地平を有していないから、日本人にとって世界は部分的で、断片的で、非統一的なものとなり、自らの行為や言動、認識や判断も、常に限定された局面に成立するだけのものとなっている。

 

 日本人の多くは、日本リベラリズムによる悪しき精神構成によって、アクチュアルに体験するものは、常に部分的で、断片的であり、認識も判断も限定された局面でのものでしかなくなっているが、これはまた、普遍的述語の使用や普遍的判断というものが、正しく用い得ないということでもある。

 

 これの良い実例も、やはりまた最高教説の平和主義に連関するところに見出すことができる。戦争を引き起こす原因や経緯なるもので、日本リベラリズムが言うところの様々な悪しきものは、日本人について語られるが、他の国の人についてそれが語られることはほとんどない。戦争への反省もまた、日本人に対して言われるが、他の国の人に言われることはない。軍備が他国に懸念と不信を生じさせ、平和とは逆の方向への原因となるということも、日本国には言われるが、軍備を増強している他国についてはちっとも語られない。

 

 あるいはこんな実例もある。故安倍首相の政治について、独裁としばしば言われたが、共産党が非民主的集中により独裁的に指導されている団体であることは、ほとんど意識に昇らない。その他にも、忖度、癒着、権益確保など、日本リベラリズムからは悪しき行動とされるものも、日本政府や自民党政治家について常に言われるが、それらが日本の各種の社会団体に共通に見られることであるのに、それらが指摘されることはほとんどない。

 

 これらのように概念それ自体では、日本リベラリズムの理解では普遍的なものなのかもしれないが、その概念の適用を見れば、その普遍性に従ったものでは全然ないものが、日本リベラリズムの主張に無数に見出される。こうした判断方法が可能であるのは、普遍的な概念を用いて、統一的で総体的な世界ではなくして、ある限定された局面で、そこに出現している限りのものという意味で特定の事柄に対して、日本リベラリズムは認識や判断を行っているからである。

 

 しかしながら、ここまで概念と言ってみたり、認識や判断と言ってみたり、普遍的な述語づけと言ってみたりしたが、日本リベラリズムの主張にあっては、またリベラル的人格にあっては、これらは真実のところ、知的に保持されているもの、知的に適用されるもの、あるいは精神の作用の内容といったものではなく、情念あるいは感情に属しているものである。

 

 日本リベラリズム教説の言説手法では、リベラル的な理念を人に抱かせるにあたって、感情の喚起が重要な役割を果たしている。しかし、日本リベラリズムの言説が人に生じさせるものは、畢竟、感情すなわち情念に属するものでしかない。日本リベラリズムの言説では、理念の理解あるいは概念内容の把握は行われずに、対象として指定された特定の事柄について、喚起された情念が説得の相手に抱かれることが目指されていて、またそれがそれによって実現される全てなのである。

 

 情念は、同一人の内に於いて変わりやすく、不安定であるが、しかもかつ人間同士を対立的にさせもする。日本リベラリズムに止まらず、およそリベラリズムは、社会に対立を惹起するものであるのは、今日よく知られるところであり、これはこれで大きな問題であるが、今ここでは同一人の中での問題に注視しよう。

 

 一人の精神における問題は、私が最大の関心を寄せ、その解決をとても重大なことと思い、その解消を図り、かつ解消の先に人が手に入れるものを、多くの人々と共にしたいと欲している問題は、情念に振り回されない精神の営み、知性とも悟性とも、理性の導きに従うこととも言われるであろう精神の営みを獲得することであり、かつまた、意識の内容を情念によって混乱させてばかりにしないで、理想、理念、概念、表象などを思考が扱うに足るものとして捉えて、およそあらゆる事柄に関する思惟を行えるようになることである。

 

 これらのことを日を改め、別の表題のもとに記していこう。

日本リベラリズムによるリベラル的人格と世俗的人格との二重性 一

 日本リベラリズムは、リベラリズムの主張や行動をする人格と、社会によって育まれ、形成された人格との二重性を、日本人に生じさせている。この二重の人格は互いに分離しているが、しかし時には相互に行き来するものとなっている。またこの二重性は、思想的な人格の統一性を全く理解させず、真の意味での哲学的反省を生じさせない。しかもそれ以上に問題であるのは、知的な認識それ自体、またその対象となるものの存立性格や、人間精神が如何にしてそれらを獲得、所持するようになるのか、これらの理解を歪めて、これらを見失わせる原因となっていることである。

 

 この二重性がどんな様態のものかは、作家の島田雅彦が最も良い実例を提供してくれた。彼は故安倍首相がテロの犠牲になったことについて、殺されて当然であったという言い方で、リベラリストの多く集まった場所で発言した。それが集会外部に知られて、人の死を悼む感情の欠落を指摘された時、この発言を訂正することもなく、直接の弁解をするでもなく、日本リベラリズムの視点からであるが、別の事柄についての問題を述べて発言の説明に替えて終始した。

 

 この人物の実例と同様に、このテロ事件に対する日本リベラリズムに従う人たちの態度と発言も、およそ人の死に対する自然な哀悼感情を表明することなく、無慈悲で無情なものであった。私自身の周囲でも、ごく普通の人が同じ発言と態度を示したことを、直接に目にもした。

 

 ところで、私が直接に接した人もあの作家も、私は強く信じて疑いもしないが、日本リベラリズムの教説がそう考えよと指示されていないところでは、つまりごく普通の出来事として誰かの死に接するならば、誰もが本然より持ち合わせる同情や哀悼感を抱くであろうし、そも人の殺害をどんな理由からでも是とすることはないであろう。

 

 すなわちこのように、リベラリズムに従った言動をする人格と、日本社会に育まれ形成された人格とが、同時に持たれているのが、私の二重性と呼ぶところのものなのである。この二重の人格を、それぞれリベラル的人格と世俗的人格と呼ぶことにする。

 

 この人格の二重性は、知るところを自らの身をもって行うものとする、真の意味での思想的人格の統一性と、根本的にも本質的にも異なるものであり、むしろ思想を抱く精神と遥かに隔たったところにある精神のあり方である。また理念や理想に導かれる思惟を全く知らない精神であり、事柄の本質を認識し、かかる普遍的な本質において理解することを知らない、いやそれが行えない精神である。

 

 この二重性のうち、世俗的人格のみであるならば、単なる思惟以前、理解力を働かせることをまだ知らない、本質を捉えて、そこでこそ営まれる知性をまだ有さない、かような人のあり方にあると言うこともでき、その人に必要なのは、思惟することへと導き、本質の把握に勉めるよう促し、人間精神として本来有するところの知性の働きに赴かせることであると言うこともできるのであるが、日本リベラリズムによる人格の二重性は、この導き、促し、そして知性への転向をそも不可能としてしまうものとなっている。

 

 このことの一端を示すには、まずは人格の二重性が生じた原因を見るのが示唆的であろう。日本リベラリズムは、敗戦後の日本を支配した占領軍司令部が、日本の政治・社会を根本より改革するために導入したものであるが、これを日本の政治・社会の各層の人たちは、占領軍支配下でも戦前と変わらぬ地位、あるいはせめて大きく減じない地位に居続けるために、あるいはむしろその体制内で地位上昇や地位獲得を図らんとして受容した。そしてこのような態度で受容せんと判断した者たちは、言うまでもなく当然に、その時点で一定の教育、教養、学識、経験、そしてそれらを含んだ人格的な形成を終えた者たちであった。

 

 ここにすでに二重的人格の端緒があるが、本格的に二重性が形成されていくのには、日本リベラリズムの言説手法と、日本リベラリズムの教説的性格とが関わってくる。この言説手法は、人の情念を喚起する、あるいは情念的感情を煽動することに始まり、そこへその情念や感情に寄り添い、それを方向づける善理念を結び合わせ、そしてかかる善理念の意義と価値とでもって、それへの志向者であること自体を、そしてそれのみを意義付け、正当化することを行うものである。また日本リベラリズムはこうした言説手法により、ある事柄に対して、どのように考えるか、どのように判断するか、どのように評価するかを、更にまたそれに対してどう行動するかをも、全て指定する教説でもある。

 

 それであるが故に、日本リベラリズムの教説を人が保持するに至るならば、ある事柄についての判断も、それに対して行うべきことも、きちんと弁えた何者かとなっていると思えてしまうのである。それは教育を通じて生じることもあれば、社会に広く有される日本リベラリズム教説に触れることによって生じることもある。どちらにせよ、日本社会にはその機会が豊富に存在し、それに縁のないようにすることの方が困難であるぐらいであり、日本人の多くは日本リベラリズム教説による人格を所持することになるのである。

 

 何者かとなっていると自分では思っている様子を、もう少し具体的に描き出しておこう。やはり最初に挙げるべきは、日本リベラリズムの平和主義によるものであろう。その教説通りに平和への想いを抱いていれば、日本人は自分は何者か、この場合は、平和についてよく考えていて、平和について強く望んでいて、平和について・・・とにかく平和というもの自体のことを、その事柄に相応しく深く根底より考えていなくても、平和を思う人となり、それについてどう述べるべきか、またどう行動すべきかも、よく弁えた何者かとなっていると思っているし、そう出来ていない人を見れば、そうなれていないと判定することも出来る。

 

 他にも日本リベラリズムが持ち出す、人権、民主主義、差別、ヘイト等々、どれもが教説が言う通りを覚えて、教説通りに論じ、教説通りに行動するならば、それらについて理解し、弁えた何者かと自らを思っているし、そう出来ていない人を判定することも出来る。そして平和からその他のことまで、それが話題となれば、どのように語り、論じ、何かしらの話題に際して、それに即しての判断や批評、感想やそこに持つべき感情まで、何もかも教説の教えるワンセット通りの言動をすることができる。つまり、そのような人として自分をその場に立ち現わすことが出来るのである。すなわちまた、その立ち現れた自分を、一人のそのような人格として意識するのである。

 

 だがこの人格とは別に、日本人の誰もが日本社会の中で形成された世俗的人格を有している。上の例で言えば、日本リベラリストの多く集まった場では、自民党政治批判や自民党政治家批判を行い、日本リベラリストが独裁政治家と非難した政治家に対して、殺されても当然だと平気で口にしながら、他方、日本リベラリズム的な言動が求められない日常の場では、人の死を悼む気持ちを持つし、殺人など決して許されないことと考えている。世俗的人格をきっちりと持ち、そのように自分を立ち現しているのである。世俗的人格において自己を意識し、世俗的人格によって日本社会の中を生きているのである。

 

 世俗的人格によって社会を生きている様子を明瞭に観察できる、これも最近見られた事例を挙げれば、リベラルな社会学者として著名な上野千鶴子が、異性と結婚せずに一人で生きることを、リベラルな考えを推し進めて至るべきことの一つとして論じ、そのような生き方を人に説き、また多くの人々がそれに賛同し、その考え方を称賛し、その教えに倣う者を生み出したが、そのように説く上野千鶴子本人は、あるリベラルな男性学者と長くパートナーとしての時間を過ごし、入籍も行い、高齢で夫が亡くなった直後に、配偶者たる妻として遺産相続も行っていたことが、広く知られることになった。

 

 上野千鶴子はこのように、一人で生きることが真の生き方であると説きながら、それとは全く別に、結婚をして二人で生きる道を何の衒いもなく選び、時間もエネルギーも二人で過ごすことに費やして生き、二人すなわち夫婦という関係がもたらすもの全てを、そこにある喜びや幸せのみならず財産も、その手に入るもの全てを我が物として生きている。

 

 さて人格の二重性とは、このような併存のことであるが、世俗的人格の側に注意を向けるならば知られてくるのは、リベラルな言動によって現れる人格は、世俗的人格に対して何らの関係も持たず、前者が後者を規定したり、制限したり、指導したりすることもなく、相互に無関係に共存しているということが、極めて明瞭に見て取られるのである。更に、世俗的人格としての欲求、感情などのあり方は、まさしく世俗通りのあり方をしていることも、容易にこの実例には看取される。

 

 そして世俗的人格が、リベラル的人格と無関係に併存する二重的なものであることは、上野千鶴子に例外的なことでなく、日本リベラリズムの通常普遍の人格形態である。何故なら、上野千鶴子の生き方が広く知られた時、信奉者や賛同者、またリベラルな学者として評価してきた者たちから、更には高くは学者として評価していなくとも、あるいはリベラルな主張に共感しないできた者たちからも、世間の反応としては、さしたる非難も批判も生じず、どの方面からも聞こえてきたのは、彼女も女性の幸せを生きることができて良かったです、という感じの受け止めだったのである。

 

 つまり、日本人の誰もが、日本リベラリズムによる人格とは別に、世俗的人格としてのあり方があると知っているし、そう生きているのであり、しかも両者は無関係で、相互に規律も規定もすることなく、むしろ世俗的人格に従って生きることを、もしかしたらリベラル的人格よりも高く評価していて、より強くそれを求めて、そしてそれこそが真実のあり方である、それが人間本来の生き方であると考えているのである。

 

 と言うのも、世俗的人格は、日本人の通常自然の、日本社会の中での生き方である。そこで形成された、道徳、振る舞い、価値観、その他様々な考え方が、そのまま日本人各人に所持されているものである。この世俗的人格は、社会の中での行動、他の人々の接し方など、包括して社会的行動を行う人格である。そしてこの世俗的人格は、思想的あるいは哲学的な原理的、批判的検討を行う以前に、自然素朴に形成され、所持されたものである。

 

 それ故に、そのあり方を構成した様々な要素、契機などを振り返って見ることはなく、その在り方からする振る舞いや行動といった現れについても、その是非、その正否、その意義への疑問が付されることもない。それは社会という観点を忘れずに言うならば、日本人が自然本然なものとするところのものなのであり、日本人ならば誰もが、このあり方に就いて、それが人間の普通のあり方、本当のあり方、それが自然なあり方であると判断し、認識し、そう語るところのものである。

 

 このあり方が許し、認める言動は、そのままに誰もが許し、認めるし、逆にこのあり方が許さず、是認しない言動は、そのままに誰もが許さず、是認を与えない。繰り返すが、その理由や根拠は、殊更に改めて検討され、明確に理解されているわけではない。それは言わば、社会という自然が、その中に生きる人にもたらし、その人に付与する第二の自然なのである。

 

 この是認や承認は、また是認され承認されるものは、自然的に正当で、自然的に当然で、とにかく自然的で、疑いなど起きることもないものであって、もしその逆に、それの価値を否定し、貶め、拒絶することは不自然であり、そうすることは人の自然を知らず、それに背くところある愚かさと見なされる。そうする人はよくて笑われるが、もし何かしら明瞭に否定的な言動をすれば多くの場合は顰蹙を買い、強く批判すれば持て余され、悪くすれば憎まれもする。

 

 そして日本リベラリズムにあっては、リベラルな人格と、この世俗的人格による是認とは、何の支障もなく同居し、併存している。しかも時に何か或る事柄にあっては、いや大概の事柄に対して、世俗的人格はリベラルな人格よりも強い是認と承認を与えている。世俗的人格における是認や承認に向って、それを批判し、疑問に付し、制限し、規制するものは、その人格の中にもまた社会にも、どこにも存在しないし、意識されないし、見出されることも無いからである。

 

 そして女の幸せを目指して生き、それを獲得することに、いったい何の問題があると言うのか、そも問題視する方が遥かにおかしい、と人々は思うのである。ここに何の違和感もなく。よしやたとえ結婚せずに一人で生きることが、人として幸せであり、本来の姿であり、意義あるあり方であると日本リベラリズムが教えていたとしても、また自らそんな教説を唱えていたとしても、何の違和感も不自然さもおかしさも感じない。彼女自身も、人々も、そも問題視する方が遥かにおかしい、と強く疑いなくそう思っているのである。続く

日本リベラリズムによる人間精神への害悪の一例

 日本リベラリズムは、広く受け入れられた思想であるならば、どれもが本来なら経るべき段階を辿ることなく、一挙に権威と意義とを有する思想信条として日本社会の最上部に採用され、上位から下位への社会(的支配)のシステムを通じて、社会全体に普及させられた教説である。更に教育機関によって日本人が幼少期から青年期にまで、長期に教授される教説である。そこでは教育の効果を最大限に挙げるため、批判を禁じた固定的で一方的な教授が行われてきた。かくして社会的権威ある上位性と固定的ドグマ性という、二つの強力な支配性を有する教説となって、日本リベラリズムは真の意味での思想の自由を日本人の精神から奪ってきた。

 

 これを奪うのみならず、日本リベラリズム教説は日本人の精神の知的営みに、著しい害悪を生じさせている。それは知性という重要な性格を全く理解させず、理念や理想を中身のないただの空虚な美言とし、人間本性から自ずと生まれる善意という人の心の原動力を、あらぬ方向にのみ歪めて導くものとなっている。しかも、日本リベラリズム教説に従う人にあって、理解力の高さを虚しく誇らせ、普遍的理念の思惟への統制力を無制限に行使し、善意のもとに自らも無慈悲になれば、他にも無慈悲、無関心、無配慮となっている。

 

 この様子を、日本リベラリズムの最高教説の一つ、平和主義を例にして見てみよう。日本リベラリズムの平和主義は、昭和憲法の九条の戦争放棄の条文に基づいて展開される教説である。ところでこれは戦勝国である米国が、軍事的優位性を持続させることを欲したものに過ぎないが、日本リベラリズムはこの意図に触れずに、平和思想の外観で日本人に受容させてきた。

 

 それによって日本人の精神状態に生じていることを、教説として説かれる様子と合わせ見ながら分析していこう。

 

 教説として説かれる様子を概観するならば、それはまず悲惨な体験を想起させ、戦争への忌避感を強く抱かせたところに、戦争が無い状態としての平和へと方向づけられた志向を持たせる。ここで平和の意義を理念的に開陳して、平和への希求を意義あるものとする。これにより方向づけられた志向自体にも正当性が付与される。そして日本リベラリズムはどう行動するか、どう判断するかも指示し特定し、その通りにすることで日本人は平和主義者となるのである。

 

 さてこれを人の精神の中でのものとして見返すならば、そこには忌避感という原初的情念がまず発生する。次にこの忌避感は戦争という事柄に触発されたものであって、それによりその事柄へと方向づけられた志向となる。更にこの方向づけられた志向は、平和という理念の所持と合わさっていく。平和の理念の教示にあっては、それの理念としての正当性が説かれるのであるが、この説示の効果は、理念の理解の形成にあるのではなく、方向づけられた志向の正当化にある。それはどう行動するか、どう判断するかを促し、支えるものを人に形成せんとするからであり、各人が自己の志向が正当なものであると意識することほど、そのような土台となるものはないからである。

 

 なるべく簡素にこれを整理するならば、まず原初的情念があり、次にそれへの対象付与による方向づけが生じ、最後にこの方向づけを何かしらの理念を添えて正当化し、最後に正当な志向を有しているとする自己認識を持つ者へと出来上がっていくのである。

 

 またこれを一般的な姿で述べ直せば、人が何かしらの情念を抱くか、あるいはそれが喚起されたところに、その情念に応じる対象が提示され、その対象に向かう志向を浮き上がらせる。次に、この対象への志向を、何らかの理念と結びつけて、その理念の有する意義を以て方向づけられた志向を意義づけ、それに正当性を付与する。最後に、方向づけられ、正当化された志向が、いわば自覚されたものなることで、日本リベラリズム主義者となるわけである。

 

 さてここで注意して見誤ってならないことが幾つもある。最も重要な点は、この精神にあっては、理念自体の理解を深めていく動きがないことである。理念自体の理解も解明も根拠づけも、むしろ必要でなくて、必要なものはただ一つ、それが価値あるものであり、意義あるものであり、それを志向の対象とすることで、志向自体が正当化される、ということだけである。

 

 日本リベラリズムの平和主義を見れば明らかなように、そこでは平和とは何かは、いかにしてそれを実現させるかといった点は、全く深められることも、解明されることもなく、ただ平和への想いは大切であり、それを持たねばならないということだけが強く、堅牢に人々には了解されている。

 

 日本リベラリズムが日本人に教説として説かれて以来、もう八十年にもなるが、この間に世界では戦争が絶えず行われてきた。これに対して日本リベラリズムが行ったことと言えば、戦争はいけない、平和は大切だと説くことのみであり、個々の戦争がどのようにして生じたのか、その原因解明を通じて、どのように戦争の終結をもたらすかを、真の意味で追究したものは全く存在しない。どれもが平和は大切だという点を強調するに結局は終始して、平和への想いは意義あることだと確認するばかりなのである。

 

 ここから日本人の日本リベラリズムにより形成された精神状態の、また一つ重要な性格が明らかになる。すなわち日本リベラリズムの教説が目指すのは、何かしらの理念、それは常に何かしらの善理念であるが、それへの志向を有することは大切で意義があり、それへの志向者であることは意義あるものであり、正当なあり方であると強く信じさせることであって、それが日本人の精神に形成しようとするものは、理念の理解ではなくして、それへの志向の正当性の自覚、意義あるものだとの意識なのである。

 

 この区別、差異を繰り返して述べよう。ここでは善理念の理解は課題とはならない。それへの志向にあって、善理念の究明へと動機づけしていくことや、善理念の明瞭な把握へと導く方法を反省したり、考察することへと促されることはない。もっぱら行われるのは、特定の善理念が意義あるものであること、その意義や価値の強調的な提示であり、しかも何故意義あるものなのか、価値あるものなのか、その根拠や理由を与えることはせずに、疑うべからざる意義や価値であると説くばかりなのである。(そうでなければ、日本リベラリズムの言説は、疑うことのおかしさを指摘するのに言葉を費やす。)

 

 正しい志向であると納得させるのと強く相関しているのが、志向に先立って、志向の向かうものとなるべき理念への情念を喚起させる語り方である。例えば日本リベラリズムの平和主義において、平和への希求、平和への想いは、重厚で豊富な、悲惨な戦争体験のエピソードを大量に、また深刻な雰囲気で聞かせるのが常である。この夥しい量の戦争体験のエピソードを聞かせることは、情念喚起の手法と言うべきものであって、また手法の最初の目的も情念喚起にある。

 

 この手法の次の目的とするのは、意義あるものとして提示される理念、例えば平和の理念に、喚起された情念がそこへ向かうように、提示するに先んじてあらかじめ方位づけることにある。体験談的エピソードの数々が情感込めて語られ喚起された情念は、そこに含まれている解消されない、重苦しく悩ませられ、思い乱れる気持ちを、ちょうどよく解消し、悩み軽くさせる働きをする理念的なものを付与するよう語られるのである。

 

 理念は理解の対象ではない。情念に伴った様々な感情に寄り添い、その感情の解消に役立つだけのものなのである。その感情を問題意識と思わせて、まるで解決策や目指すべきものと理解されるもののように、ピッタリと当てはまる感情の解消物として提示されるのが、日本リベラリズムの教説が個々の問題で提示する理念なのである。それは喚起された情念と、緊密に結合するものであり、あるいは混合するものであり、その結合や混合によって精神の営みそのものを歪めていく。

 

 日本リベラリズムの教説の支配下、精神の知性を働かせているつもりで人は、注意力の冷静な行使から知的関心が生じる代わりに、喚起された情念の強さに心が動かされ、知的関心に導かれた知性の眼差しが把握した対象のつもりで、情念と共に惹起されてくる感情が望ましいと思うものへと心を向けさせ、自らの思惟によって何かしらの判断へと至る代わりに、解決の意義あるとされる理念を提示されるままに受納し、そこで価値づけられたままに受容し、かくして問題を把握し終えたと思い誤る。のみならず、意義あることに向き合い、価値あることに向けて主体的な自ら自身が、意義と価値あるあり方をしていると思うのである。

 

 情念との結合で満足し、この混合物に精神が振り回されている人にあって、見落とさないよう明記せねばならないのは、理念あるいはおよそ概念により思惟がどのように導かれていくか、それらでもって如何に思考が営まれていくか、このことを見出すよう精神へ哲学的反省が行われることは全くないし、その動機も存在しないし、当然、これらの営み、すなわち哲学的営みの理解も知識も存しないと言うことである。そしてこれが、日本リベラリズム教説が人間精神に引き起こしている害悪の最たるものであると私は思うのである。

リベラリズムについて 四

 リベラリズムは思想ではなく、特定の社会状況下で特定の目的獲得を目指す行動であり、包括して一般的にも社会現象に類比して捉えるべきものであって、これらの視点からリベラリズムの言論性格、言説内容(の意図、構成手法、効果など)は理解されるべきである。

 

 ところで日本で見られるリベラリズムには、他の地域でのリベラリズムとは全く異なった、特異な性格がある。それは日本へのリベラリズムの導入が、極めて特殊な状況と意図とによって行われたからである。すなわちリベラリズムは、第二次世界大戦に敗戦し、米国主導の連合軍に占領されていた日本に、占領下での政治、社会改革の一環として導入されたものだった。この特異な導入と、それへの日本での対応、受容の仕方とが相俟って、リベラリズムは日本リベラリズムと他と区別して明記すべき、特殊で異様なものへと変質して今日に至っている。

 

 占領軍司令部の命令で、日本の政治、経済、社会団体、文化、学術など社会各領域の指導的地位にある者、影響力ある者は、すべて占領軍の方針であるリベラリズムに従う者たちへと入れ替えられた。これによって、リベラリズムは一挙に日本での指導的な立場のみならず、日本の人々に対する権能的な力を手に入れた。戦後改革で占拠的に占められた政治、社会での上位的、指導的地位は、そのまま日本リベラリズムに従う者たちに継承され、確保されてきている。

 

 そして今日まで、日本リベラリズムは社会的権能と地位、およびそれに伴う豊かさを手にいれる、有力な手段である。日本リベラリズムは、それを尊重する態度を示すだけで、一定の社会的評価と地位を約束する。日本リベラリズムに即する姿勢は、社会的上昇を目指す者たちには、上位者から地位を受け渡される資格の一つとなっている。

 

 さらに合わせてみるべきは、日本人の学校教育にもリベラリズムが導入されたことである。日本リベラリズムは、精神に対しては教条、教説となったのである。リベラルリズムとして教えられる通りを守るように育てられ、原理的価値への真に必要な批判や、適切に加えられるべき検討は許されず、日本リベラリズムは物事の考え方の堅牢不変の枠組となり、そこに縛られてしまうものとなっているのである。これにより、本来の意味通りの思想的営みが日本では致命的に損なわれた。しかも、私にとって痛切に残念に思うのは、哲学的反省への道が大きく塞がれてしまっていることである。

 

 リベラルな主張の言論構成は、様々な思想での善理念と、それを言い表す表現手法とを、彼らの利益のために駆使するものである。またリベラルな主張は、教育によってと共に、マスコミなどを通じて、人々に既知のものとして受け止められている。それにより人々は普遍的理念による現実理解に、ある程度通じていると自らを思っている。

 

 そしてリベラルな主張を通じて彼らが理解していると思っている理念や価値が、現実には存在しないでいたり、その実現への途上にないのを見ると、その原因は他人にあると簡単に思ってしまうのである。彼らはそうして他人の怠慢と無関心への非難としての批判を行う。現実の不完全さを見ては、その非難はますます厳しく、激しいものとなる。この非難によってのみ、足りなければより強くした非難によってのみ、現実は彼らの思い描くところへ変化すると思っているのである。

 

 非難の強さの度合いこそ議論の帰趨を決定すると、このようにしか言論を考えられない背景は、リベラリズムが占領軍司令部によって、一挙に日本社会の上位的、指導的、そして権威的地位を与えられてしまい、本来ならば思想として認められるために、その思想を抱いた人に始まり、まずは彼の周囲の人々の間で、そしてやがて社会の多くの場所で考察、検討、納得、そして受容されながら、同時に洗練されていくという、それを経なければならない不可欠で必須な、思想を思想として成長させる過程を持たなかったからである。

 

 思想を人々と納得し合って深めていく道、人々と共に考えていく道を知らない日本リベラリズムの欠点、日本の人々をそこから逃れられなくしている日本リベラリズムの害悪は、また一つある。それは論究考察の主題、その手法、そしてその言語化にあって、アクチュアリティを重視することである。アクチュアルな問題を論じよ、と日本リベラリズムは求める。だがこの要求は、リベラリズムがその時点の社会状況で、個人の可能性という美名のもと、自己の利益を獲得することを目指すものだからこそ言われるものであって、それ以外に何らの理由もない。

 

 この要請に従うことで哲学や思想に、大きな利益が得られるわけではない。この要請はむしろ哲学的考察を不可能にするものである。何故なら、哲学的議論は普遍的で根源的なものに及ばねばならないのであって、それは個別的な姿だけでは捉えられないものだからである。普遍的で根源的なものへの理解どころか、それ以前に、そこへ精神の眼差しを向けること、いやそれ以前に、そこへの関心を持つこと自体が、日本リベラリズムによって日本の人々から奪われてしまっているのである。

 

 このことに繋がっていて、哲学的関心を持ち、哲学的事柄へ精神を向け、何かしら原理的なものから思索するにあたって障害となる、日本リベラリズムが日本の人々に植え付けたものがある。それはその時点で自分に備わっている知識・理解と、自然に生まれるとみなされる情念とから飛躍しないで、それらと何らの知的性格の差異のないところに、哲学や思想が見出されると誤解していることである。

 

 これらより言うべきことは、ただ一つである。私たちは日本リベラリズムから解き放たれ、精神の営みをそこから自由にしなければならない。私たちの哲学は、日本リベラリズムから訣別することによって始まるのである。

リベラリズムについて 三

 リベラリズムは個人の可能性を価値ある原理とする。この個人とは社会の中での個人であり、可能性とは個人が社会の中で生活し、活動し、それによって様々な地位や役割を得ていく可能性である。ところでこの地位や役割とは、人々への影響力、思想・精神上の指導性といったものだけでなく、すなわち単なる名誉や名声、評判や声価、敬意や尊敬だけではなく、実質的で物質的な獲得物、下品に言って金銭的に相応の利益がそこに必ず伴って得られるものであって、個人の可能性とはこれらが実現していく可能性である。

 

 個人の可能性が価値原理であるから、この可能性の実現を阻害したり、制限するものは否定的に評価される。価値や原理とするところを否定されるならば、その否定をそのまま是認して受容されはしないものだから。それでそこでは価値原理の否定を退け、それを誤りと指摘して、否定者への反論が行われることになるが、その場合リベラリズムの言説が常に有する特徴がある。それはこの反論が非難の意味での批判でしかないか、あるいは阻害したり制限しているものを現実から取り除くことを課題として設定した、具体的な修正を述べたものとしての批判となるのである。

 

 こうしたものを批判と呼ぶのは、リベラリズムの言論での習慣的用法に従ったからで、彼らはこうした言論を批判としばしば呼ぶ。実際、権力批判や政治批判と呼ばれる言説は、様々なリベラリズの主張の中で大きなグループの一つとなっているが、これら言説の内容を見るならば、権力的なものや政治によって生ずることがリベラリズムの価値とするところ、原理を否定するものであるのを非難し、そうした障害物、阻害物、あるいは制限や制約を取り除かれた姿へと、権力の性格や政治制度など修正、改革、変化させることを求めるものである。

 

 このようにリベラルな主張は、その実質において、非難か修正である。ところでそこで目指されているのは個人の可能性の実現であるから、これを加えて合わせて言い直すならば、リベラルな主張の実質は、主張者の利益の実現がそれによって得られることを図った非難と修正である。

 

 ところでリベラリズムの議論、論説、論評は、各種の思想、哲学の概念、理論、表現、言い回しを活用して組み立てられている。それによって思想的外観を得るし、自らを思想として偽装したりもしている。そのために正味、自己の利益の実現を目指しているだけのリベラリズム言説の大半は、そうした意図を正しくは理解されないでしまうのである。

 

 リベラリズムは、その出発の時点から、思想に偽装することに努めてきた。啓蒙思想や革命前の著述家たちに始まり、社会運動家共産主義社会主義、文芸評論家、芸術家などなど、今日でも援用できる議論は、その議論そのものの由来や目的とは無関係に、いくらでも援用してリベラルな主張を組み立てて、思想的偽装に努めている。とはいえ、偽装の自覚もその意図の意識も持たれずにあったとも言える。その時は、自己欺瞞と言うのが正しいであろうか。穏当に、いや適切に言うならば、混乱し、撹乱されてきた、となるであろう。

 

 これをリベラリズムを社会現象と捉える視点に即したところで述べるならば、リベラリズムの起点は社会情勢であって、そこに出現した選択肢が、その時々のリベラリズム、その情勢下でのリベラルな主張を呼び起こす。社会流行や社会風潮と同様の現象であるリベラリズムは、まさしく同様の特徴を持っていて、その時点の社会情勢、社会状況に規定されているのである。

 

 そしてその時期の社会情勢の様々な具体状況が、その時期でのリベラルな主張を規定するすべてなのである。例えば都市部に新しい職業が複数生まれて、それらへの就職とそれによる都市生活を望んだ者たちが、農村から都会へ出ていこうとするならば、この志向を正当化し、それを制限したり否定したりするものを批判するリベラルな主張がなされることになるが、ここでこの志向を擁護し、援護し、意義づけ、根拠づけ、理屈づけ、美化するといった効果が期待される言論・言説は、ことごとくそのリベラルな主張のために活用されるのである。

 

 ここで様々な具体状況とはまさしくその時点での具体的な情勢のことであって、同じ例で言えば都市部の新職業がどんなものであるか、それに就くことでどんな生活がその時点では得られるのか、それを欲した者が農村部でどんな生活環境にあるか、彼の志向を制限するのがどんなもので、どんな否定や反対をされるのか、これらのその時点での具体的な様子が、リベラルな主張をどんな言論にするかを規定するのである。

 

 これだけでは、およそ言論たるもののいづれにも通ずることで、リベラルな主張の特質が明らかではない。およそ思想としての原理が無く、その原理に規定された統一性が無いと指摘してみても、上の例ではそのことは未だ明瞭ではないし、そもリベラリズムは個人の可能性を原理的価値にしているのだからと、こちらの説明を根拠にした反論がされてしまうであろう。

 

 例えば女性の社会進出のケースならばどうであろうか。このテーマがリベラリズムの発生とともに、すなわち十九世紀にすでに現れていて、以降、ずっと論じられてきたと言ったならば、少し誇張があり、実態を見逃すであろう。それ以降の状況の変化から顧みて、つまり進出の度合いが深まっていった、その時々に振り返って、ずっと論じられてきたとは言えるが、その過去の各時点での論じ方、主張の内容は異なっているのであり、しかもその異なりは、その時点の社会情勢が可能なものしか論じず、その以外はその時点では決して言及されないという異なり方なのである。

 

 婦人参政権が論じられていた時には、女性の政治家、大臣、そして大統領のことなどは念頭になかった。女性の就労は、日本の場合、当初は結婚までのものであり、そのように理解されることに何の問題もなく論じられたが、やがて突然に管理職に採用することが論じ出され、次いで共働きのあり方が描き出され、そして保育サービスが課題視されるようになったが、これらも先行する時点では、後続して課題となることは全く話題にも上らずにきたのである。

 

 その時点で実現可能なものしか、リベラルな主張は取り上げない。しかもこの実現可能性は、社会の側での実現可能性である。選択肢と述べてきたが、人の側から無限に多様なものとして選び出す選択肢ではなく、その時点の社会状況がいわば提供可能だから提示している選択肢である。人間たる存在に基づき、あるいは社会なるものより原理的に構想し、展望して、展開した選択肢では無いのである。

 

 これに対して本来の哲学や思想では、プラトンの国家篇やユートピア思想のように、ある種の普遍永遠の理想的な国家や社会が論じられる。つまり可能な選択肢は、その哲学や思想が原理より導き出す限り、全て提示されるのである。

 

 このようにリベラルな主張は、その時点の社会情勢で選択可能なものを、その時点の現実社会が選択可能として提示してくるものを個人が志向する時に、この限定された志向を正当化し、この志向を否定するものに反論するものであるが、しかしこの反論は否定することを非難するか、賛同するように相手に修正を要求するかの言説となる。しかもこの目的に有効で、利用可能な言説を、志向する事柄に合わせて、適宜活用して構築されたものである。

 

 そしてこうした言論手法を指して、リベラリズムであると定義しても問題はないだろう。もちろんこの言論手法は、個人の可能性の実現とか、個人の志向とかを正当化するために使用されるものである、と必ず併記せねばならないが。続く

リベラリズムについて 二

 ではリベラリズムとは何か?。リベラリズムを思想としてでなく扱うとすれば、どんなものと見れば良いのだろうか?。

 

 リベラリズムは、社会現象の類として、その観察と考察をすべきものである。社会現象とは、社会風潮とか、社会的流行といった、社会の状況に基づいて出現するものであり、その時点の特定の状況が土台とも起源ともなって、現象としての発生、成長、そして衰退が規定されるものである。

 

 リベラリズムが本質的には社会現象であることは、幾つかの点から示すことができる。まずリベラリズムが出現したのは十九世紀のヨーロッパであるが、この時期の社会変化がリベラリズムの発生と展開に大きく関わっている。と言うのも、その時期から欧州は政治的、経済的に大きく変動していき、政治的新制度の確立、経済的な、具体的には産業や職業の点で、新展開をしていくことになる。

 

 この変化が、例えば経済面で言えば、生活を支えるに足る新しい職業の出現が、リベラルらしい言葉で言い表すところのいわゆる職業選択の自由、あるいは新しい生き方の選択が当時の人々の前に出現することになったのである。

 

 この新しい選択肢の存在、その選択の結果得られる新しい生活、これらが当時の人々は自ら選び取るもの、自ら欲してそうすることと意識され、意味付けられた。この意識と意味づけは、やがて自由意志とか主体性とか立派なもののごとくに言われることになる。もちろん最初からそんな厳かな称号を与えられていなくとも、この選び取りを否定的に評価したり、その欲求を押さえつけたりすることは、極めて明瞭に、自己の考えを否定すること、自己の希望を押しつぶすこと、つまりは自己の否定として受け取られていた。

 

 ここはいささか慎重に、あるいは念入りに、二つの要素が絡み合っていく様子を見ておきたい。すなわち自己の肯定と、自己の外から為される否定との二つの契機である。肯定されるのは、自己の欲求、意志、希望や願望、その他の自己の内にあるものを実現しようとする様々な志向である。ところでこれは単なる是認ではない。その是認は自らの志向とその対象とが価値を持つことの是認、自己の行なった選択が正当なものであるとする是認である。すなわち自己の志向は尊重されるべきものなのである。それで外から与えられる否定は、尊重すべき価値を否定すること、そうした考え方や態度であるという意味を持つことになる。

 

 二つの契機は、言い換えれば、価値あるものとそれの否定、尊重すべきものとそれの否定、意味あるものとそれの否定、すなわちその意味の無理解や無知、という性格を帯びていく。そうして自己の是認は、自己が自己においてのみ、つまり自分一人だけがそれを是認しているというものではなくして、尊重すべきものを尊重する人ならば、意味や意義を理解する人ならば、それらを知っている人ならば誰もが是認、肯定するはずのもの、そうすべきものと意味付けられていく。

 

 新しい生活の様々な選択肢の出現は、その選択肢のどれかを選び望む動きと、これを否定する動きとの二つの絡み合いから、一方に志望することの正当性、選択対象となるもの自体の意義、これらがそのまま尊重されるべきだとの意味付け、そして他方にこれらを否定することが、ただ否定するというだけで、非合理的、非知性的、無知、迷妄など、およそ価値あるものを理解できない精神的、知的欠落と見做されるという考え方を出現させもしたのである。

 

 リベラリズムの議論や主張は、いずれのものにあっても、根幹に今上に述べたものを有しているか、あるいはそれを洗練的に展開構築させたかしたものを有している。当然、それ以上に付加されるものもあるが、コアとなるのは上のことどもである。

 

 同じことを少し具体的な様子を伴わせて、より鮮明にしておこう。例えば都市での新生活への憧れが持たれたとする、この憧れとそれによる判断、行動は、すべて尊ばれねばならない、そうしないのは憧れている人を人格的に否定することであり、さらには憧憬の対象たる新生活のスタイル自体の意義について無知、無理解なのである。この無知無理解の原因に、旧来の価値観に縛られているといったものが指摘されることもある。

 

 また例えば、新様式、新技法の芸術創作を目指したとする、この意欲とそれのための創作活動は、すべてその限り尊ばれねばならない、そうしないのは新しき芸術家を否定することであり、新しい芸術の意義の無理解、感受性の欠如なのである。この感受性の欠落の理由として、狭隘な芸術観に囚われているといった指摘がされることもある。

 

 最後に例えば、社会の何かしらの変革が志向されたとする、この希求とそれに関係する行動は、全て尊ばれねばならない、そうしないのは新しい社会理念の否定であり、その理念の普遍的価値の無理解なのである。そしてここでも、この無理解を批判して、盲目的な保守性、差別感情といった視点から非難されることがある。またもちろんここでも、変革者、改革者自身も、それ自体つまり変革を目指しているということだけで、否定されるべきでない何者かと(全く馬鹿馬鹿しいことに)見做されることもある。

 

 この一文の最初に、リベラリズムは社会現象の類の事象であると記した。そう捉える理由の一端は、ここまで述べた選択肢の出現自体が社会現象であり、新しい選択肢に対してどう行動するか、どう考えるか、そしてどう意義づけるか、あるいは否定する行動、態度、考え方をどう再否定して退けていくか、これら全てがその時点の社会の情勢や文化、思想、価値観などに規定されているからである。

 

 都市が経済的に拡大し、新しい都市生活、都市的職業が出現したから、それらが選択肢となり、政治的新制度などでこれまで閉ざされていた人々に政治的進出が可能となって、それらが選択肢となり、芸術の新趣向への(潜在的、可能的)需要が生まれたから、それを欲する(潜在的、可能的)顧客への新芸術が可能となり、そしてそれらが選択の一つになりと、このように社会が変化したから、その変化に基づいて出現したのが、今日所謂リベラリズムなるものだったからである。

 

 少し補足して言えば、後にリベラリズムと呼ばれることになる、個人が自らの可能性に基づき選び欲するもの、その実現のための行動や考え方を尊重し、またかつそこで欲せられ、目指される事柄自体を意義あり価値ありものとし、これらいずれかを否定したり抑圧したり妨げたりすることを、様々な視点、概念、理論、思想などで非難、批判、攻撃、論駁していくものとなるのである。続く